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豊かなのになぜ満たされない?現代人の「足りない」をアートから考える

2026年8月10日


豊かなのに満たされない現代人の心と選択肢の多さを表現したアート画像


English Summary

Akemi
Akemi
豊かなのに、なぜ私たちは「足りない」と感じるのだろう?
食べるものがあり、住む場所があり、欲しいものの多くはインターネットですぐに手に入る。
仕事も、生き方も、住む場所も、昔よりずっと自由に選べるようになりました。

それなのに、なぜ私たちはこんなにも迷い、不安になり、
「もっと何かがあるのではないか」
と思い続けるのでしょうか。

最近、この問いがとても気になっています。

私自身、何かを選ぶときに、
「本当にこれでいいのかな」
「もっといいものがあるんじゃないかな」
と、必要以上に調べ続けてしまうことがあります。

便利になり、選択肢も増えたはずなのに、かえって疲れている。
そんな自分に気づいたことが、この問いを考え始めたきっかけでした。

もしかすると今の時代には、
豊かになったからこそ生まれる悩み
があるのかもしれません。

そして考えていくうちに、このことは、私がこれまで作品を通して向き合ってきた
「今」「日常の断片」「見ること」とも、どこかでつながっているように感じました。

まだ答えはありません。

ただ、この「足りない」という感覚がどこから生まれるのか、
少し考えてみたいと思います。


選択肢が多い時代|自由なのに、なぜ私たちは不安になるのか

私たちは、たくさんのものを選べる時代に生きています。

仕事、住む場所、学び方、服、サービス、趣味、生き方。

インターネットを開けば、ほとんど無限と言っていいほどの選択肢が並びます。

一見すると、とても自由で豊かなことです。

けれど、選択肢が増えるほど、
「本当にこれでよかったのだろうか」
という迷いも増えているように感じます。

何かを選んだ後でも、
「もっと良いものがあったのではないか」
「もう少し調べれば、さらに良い選択肢が見つかったのではないか」
と考えてしまう。

そんなふうに考え始めると、選ぶために調べていたはずなのに、
いつの間にか「選べない状態」そのものに疲れてしまいます。

自由であることが、そのまま安心につながるとは限らない。

むしろ、
自分で決めなければならない自由
が、新しい不安を生み出しているのかもしれません。

SNSで比較してしまう|「足りない」はどこから生まれるのか

もうひとつ、今の時代に大きな影響を与えていると感じるのがSNSです。

  • 誰かの旅行
  • 素敵な部屋
  • 楽しそうな仕事
  • 充実した休日
  • 夢を実現している人

SNSには、人の人生の中でも特に輝いている瞬間が次々と流れてきます。

もちろん、それを見ること自体が悪いわけではありません。
新しい世界を知るきっかけにもなるし、刺激や励みになることもあります。

けれど、何気なく見ているうちに、
「それに比べて私はどうだろう」
と、自分の生活を比較し始めることがあります。

そして最近、SNSは世界を広げているようで、
実は自分の「見えている世界」を狭くしていることもあるのではないか、と感じます。

画面の中には、目を引くもの、評価されているもの、
楽しそうに見えるものが次々と現れます。

それを見続けていると、いつの間にか
「こういう生き方が素敵」
「こういう状態が幸せ」
という基準に、意識が引っ張られてしまうことがあります。

本当は、幸せの形はもっと身近で、静かで、人それぞれ違うはずです。

  • 今日を穏やかに過ごせたこと
  • 好きなものを食べたこと
  • 誰かと話したこと
  • 何もせず、ゆっくり過ごした時間

そうした自分の目の前にあるものよりも、
画面の向こうの誰かの人生の方が大きく見えてしまう。

そして他人の人生を見た瞬間、
自分には何かが足りないように感じてしまう。

そう考えると、
「足りない」という感覚は、本当に不足しているから生まれているのでしょうか。

もしかすると、比較することで初めて生まれる「不足」もあるのかもしれません。

そして私たちは、たくさんの情報を見ているつもりで、
本当は自分のすぐそばにあるものを、少しずつ見なくなっているのかもしれません。

将来のために生きすぎると、「今」が見えなくなる

私自身も、

「もっとこうした方がいいのではないか」
「今これを選んだけれど、隣のあっちの方が良かったんじゃないか」
「まだ何かできるのではないか」

と考えることがあります。

向上したいと思うこと。
未来について考えること。
目標を持つこと。

どれも大切なことです。

ただ、それが強くなりすぎると、
未来のために今を使い続ける
という不思議な状態になります。

  • もっと良い将来のために働く
  • もっと良い自分になるために勉強する
  • もっと良い人生にするために計画する

そして気がつけば、
「今」という時間が、未来のための準備だけになってしまう。

何もしない休日でさえ、
「今日は何もできなかった」
「もっと有意義に過ごせたのではないか」
と思ってしまうことがあります。

でも、何もしない時間は本当に無駄なのでしょうか。

窓から光を見る時間。
ぼんやり歩く時間。
何となく紙を触る時間。
風の音を聞く時間。

そういう時間も、本当は私たちの人生そのものです。

豊かなのに満たされないのは、「見えていない」からかもしれない

最近、私は少し違う考え方をするようになりました。

私たちは何かが足りないのではなく、
すでにあるものが見えにくくなっているのではないか。

  • 情報が多すぎる
  • 未来について考えすぎる
  • 他人と比較しすぎる
  • もっと良い可能性を探し続ける

そうして意識がいつも
「ここではないどこか」
に向かっていると、
今ここにあるものに気づきにくくなってしまいます。

そのとき問題なのは、
「何を持っているか」ではなく、
「何を見ているか」
なのかもしれません。

「今を見る」ということと、自分のアートがつながった

このことを考えていたとき、ふと自分の作品制作とつながりました。

私はこれまで、
日常の中にある断片や、
記憶、
時間の痕跡、
紙や絵の具に残った行為の跡、
何気なく目にしたものを拾いながら作品を作ってきました。

そこには、完成された大きな物語があるわけではありません。

むしろ、普段なら見過ごしてしまうような小さなものがあります。

  • 紙の切れ端
  • 一瞬の光や影
  • 風景の中に残る痕跡
  • その日の感覚

こうしたものを作品として見つめ直していると、
私はもしかするとずっと、
「すでにここにあるものを見る」
ということをしてきたのではないかと思いました。

アートは「見方を変える」きっかけになれるのではないか

アートは、何かの答えを教えてくれるものではありません。

少なくとも私は、作品を見た人に
「こう考えてください」
とは言いたくありません。

むしろ作品を通して、
普段とは少し違う場所へ注意を向けてもらう。

  • いつもなら通り過ぎるものの前で立ち止まる
  • 近づいてみる
  • 遠ざかってみる
  • 見慣れたものを違う角度から見る
  • 自分の中に生まれた感覚を少しだけ眺めてみる

そんなことができるのではないかと思っています。

そう考えると、アートには、
何かを与えるというよりも、
見る方向を少し変えるような力があるのかもしれません。

幸せになるために、私たちはいつまで準備するのだろう

将来の安心のために働く。
いつか自由になるために頑張る。
もっと自信を持てるようになってから行動する。
もう少し条件が整ったら楽しむ。

私たちは時々、
「今」を未来のための待合室のように扱っているのかもしれません。

でも、人生のほとんどは「途中」です。

完成した瞬間より、
迷っている時間、
考えている時間、
何かを探している時間。

そんな時間の方がずっと長い。

だとしたら、その途中にあるものも、
もっと大切に見ることができるのではないでしょうか。

まとめ|豊かな時代の「足りない」と、今を生きるということ

豊かな時代に生きていても、人は不安になります。

  • 選択肢が多いから迷う
  • 自由だから、自分で答えを決めなければならない
  • SNSで他人の人生が見えるから比較する
  • 未来を良くしようとするあまり、今を通り過ぎてしまう

そう考えていくと、
現代の「足りない」という感覚は、
物質的な不足だけから生まれているわけではないように思います。

もしかすると、
いつも「ここではないどこか」を見続けることで生まれる不足感
もあるのかもしれません。

だから最近、私はこんなことを考えています。

アートによって、少しだけ立ち止まることはできないだろうか。

今まで見えていなかったものを見ることはできないだろうか。

自分の中にすでにある感覚に気づくことはできないだろうか。

まだ、この問いに答えはありません。

そして、この問いがこれから自分の作品の中でどんな形になっていくのかも、
今はまだわかりません。

ただ、しばらく考え続けてみたいと思っています。

「足りない」は、どこから生まれるのだろう。

そして、いま、ここにあるのに、私たちは何を見落としているのでしょうか。

English Summary

Why do we continue to feel that something is missing, even when our lives are materially rich and filled with choices?

This question began with a personal experience. I sometimes find myself continuing to search for better options even after I have already found something that is enough. The more choices and information available, the more difficult it can become to feel satisfied with what is already here.

Social media can intensify this feeling. We are constantly exposed to selected moments from other people’s lives—travel, work, homes, achievements, and experiences. Without noticing it, we may begin to measure our own lives against these images and feel that something is lacking.

I have started to wonder whether the problem is always that we do not have enough, or whether we have become less able to see what is already present. When our attention is continually directed toward a better future, another possibility, or someone else’s life, the present can easily become something we pass through without noticing.

This thought unexpectedly connected with my own artistic practice. I have long worked with fragments of everyday life—pieces of paper, traces of time, memories, fleeting light and shadow, textures, and small things that might otherwise be overlooked. I realized that much of my practice may be rooted in the simple act of looking again at what is already here.

For me, art does not need to provide an answer. It can instead shift the direction of our attention. It can invite us to stop, look more closely, change our distance, or encounter something familiar from another perspective.

Perhaps the feeling of “not enough” does not come only from actual lack. It may also arise when our attention is always directed somewhere other than here.

This remains an open question in my practice:
What are we overlooking, even though it is already here?

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